道は、遠くまで続いて果てがない。しかし、身近にあり足もとにある。
道に立つ者は、道の始まりに立っていることを知るべきである。
つまり常に初心を忘れず、“道に達した“と自惚れることは禁物である。
道とは、人として生きる上で必要な不律で有り、合氣道を通してそれを悟ることは、大切な人生訓を得ることになる。
合氣道を知るとは、このような道を知ることに外ならない。
社会生活の中でそれを実践することが、即ち、人の使命を全うするということになろう。
道は、難しく考えると難しいものになるが、足元の現実に目をむけて、気付いたことから始めれば難しいものではない。
現代は、複雑な社会を構成していて、ひとりひとりは-個の歯車に過ぎず、ともすれば自分だけを見つめて社会全体を考えなくなりがちである。
不平不満も出てくるであろう、然し、少なくとも道に入っているものは、己れの使命を果たし、社会に押しつぶされない自分になることが必要である。
合氣道を通じて己の道を見出し、不平不満のない安心立命の境地を得ることができれば、合氣道を創始した開祖もきっと喜ぶことであろう。
私は、このような生活を「実りある生活」と考え、子から孫へと伝えてゆきたいのである。
つまり、合氣道を知ることは、自分を知ることであり、それ故に合氣道を鏡として戴きたいのである。
合氣道の本質は、自分の足元にある、ということを知るべきであろう。