• 合気道は一般に体術が主体であると伝うことで知られておりますが、その体術の基本的な理は剣よりきていると見て差し仕えありません。
    むしろ体術的な剣法であり、且つまた剣法的な体術であります。
    つまり双方の理合は一致するとい伝うことができます。
  • だからと云って、現在行なわれている剣道と柔道を即座に混ぜ合わせてお考えになると間違いになります。 同じ剣を持っても合気道の剣裁きとは似て非なるものであり、剣道と柔道を比べ、いずれからも他方を説明することは困難でありましょう。 杖についても同様のことが伝えます。
  • それでは何故が異なるのかと云うことになりますが、第一に受けた時の体制が裏三角法をとっていること、第二に気をあわせる、と云うこの二点になります。 この二点こそ合気道を、合気道たらしめるものであります。
    裏三角法と云うのは、例えば右足を前に出した半身の構えの場合、右足の右側に三角形ができる位置に左足をおくことを云います。開祖は単に一重身(ひとえみ)とも云うっておられました。一重身の利は、相手が突いてきても打ってきてもその剣に逆らわず、突くことも打つことも可能にする点にあります。
    第二の気を合わせると云うことですが、合気道には突ける時も突かず、 打てる時にも打たずに気を合わせる稽古法があります。
  • 合わせ法、組太刀, 組杖は基本形に従って動きますが、総て気を合わせる稽古法です。
    基本形が身につけば琢磨の場合にも自然に応用技が出てくるものと、考えられています。
    これを試す目的で試合をおこなうことは非常に危険です。
    何となれば合気道において試合と云う場合には、 真剣勝負を意味するからであります。
    若し一定のルールを設け試合をおこなうことにしたならば、 危険と見られる技は認められず技の範囲は狭くなり、 合気道本来の目的をも見失うことになりましょう。
    それは、また 、スポーツ競技となることも意味しています。
  • 現代武道が真に平和を求め、 愛の精を、神を、顕示するものであればある程、きびしい過程を経なければならないのが武道の世界であります。
    しかも、そのきびしい過程を経なければならないのが武道の世界であります。
    しかし、その厳しさの中に道を求め美しい人間関係を維持する喜びは、修行さ者に与えられた特権とも云い得よう。
    徒手稽古に限らず剣・杖を持った稽古は、その厳しさを一層増大させるであろう。
  • 剣・杖・体術の一々の理合については、何故共通なのかと問われれば 「総べて共通している」 と云うことになってしまいます。
  • どうぞ皆さんご自身で研究練磨を積まれることを切望します。
    合気道において剣・杖を持つことは、以上述べてきた理合を知る事の外に、剣を持って剣に頼らず、 杖を持って杖を意識しないことである。
    「武器に頼らざる心・技・体を創りあげる事になると信じます。」
    一日の稽古と云えどもおろそかにせず、気を練り、体を練り、心を練り、合気道精神を涵養していきたいと念願する次第です。